つながる元気、ときめきキャンパス。大阪大学生活協同組合
<教員>7月のおすすめ本
★おすすめ本★ 書評


ISBN: 9784588603303
書名: 反市民の政治学
著者: 日下渉
出版社: 法政大学出版局
本体価格: 4,200円

(1)『反市民の政治学』 日下渉 著

 「反市民」というタイトルの言葉に魅かれた。
 最近、日本でも、かつて左翼が頼りにした「市民」は瀕死である。格差が広がり、市民社会という民主主義を支えるはずの地盤が脆くも崩れ始めているように見える。森友学園や加計学園の問題の病根は民主政治の根幹を蝕む <
腐敗>以外の何物でもないにもかかわらず、「他にもっと大事な問題があるだろう」という声を聞く。彼らの言う「大事な問題」とは、それでは何なのだろう。ぜひ耳を傾けたい。この国の社会で進行しているのは、本書が問題としている道徳的分断である。
 フィリピンの都市をフィールドとしてスラムと大学を行き来しながら著者が案出した「二重公共圏」の概念は、トランプ大統領が当選したアメリカ、インラック首相を追放し軍事政権が政権の座に居座り続けるタイ、あるいは長期化する安倍政権の日本の場合も妥当しそうな気配である。
 しかし東南アジアの貧しい人々が居住する地域を歩いていつも感じるのは、走り回る子供達の生命力であり、微笑みかけてくれる人々の優しさである。それが、世界を救う希望である。希望を君の肌で感じるために、旅に出よう!



ISBN: 9784480096197
書名: 資本主義から市民主義へ
著者: 岩井克人
出版社: 筑摩書房
本体価格: 1,100円

(2)『資本主義から市民主義へ』 岩井克人 著

 基礎づけなんかない、貨幣も、言語も、法も、自己循環論の産物である。しかし、それらが社会的実体として存在するのは、人間がコミュニケーションによってそれらのトートロジーを成り立たせているからである。そして、そうしたコミュニケーションには必然的に倫理が伴わなければならない。その倫理の場が市民社会である、というのが本書の筋書きである。個人は元々法人である、とか、数学はまた文学である、とか、目から鱗の刺激的なテーゼ満載の本書であるが、マルクスからラカンまで縦横に論じる対談は、真理はそれが真理であるが故に真理であるという真理の存在論によって貫徹されており、それゆえ議論は経済学のみならず法学・政治学、言語論、社会理論、から精神分析まで広範であるにもかかわらず体系的であり、その意味で優れて哲学的である。
 私が注目するのは、議論の帰結としての市民社会論である。「国家にしても資本主義にしても、人間がお互いに責任感をもって行動しているような市民社会的な領域の存在を許すだけの余裕がなければ駄目なんです」(本書227頁)という指摘を警鐘として受けとめたい。他者への信任が揺らぐ時、市民社会は危機に瀕する。
 岩井克人の思想への絶好の入門書としてお薦め!



ISBN: 9784594078942
書名: デカルトの憂鬱
著者: 津崎良典
出版社: 扶桑社
本体価格: 1,600円

(3)『デカルトの憂鬱』 津崎良典 著
      
 生きるということの様々な様相は、確かに動詞で言い表される。例えば、人生の中で人は「旅する」(本書第7章)、「愛する」(第12章)、「暮らす」(第15章)、「助け合う」(第18章)、そしていつか「死ぬ」(第6章)。人生はときに憂鬱である。哲学者は困難を克服する、その「やり方」を教えてくれる。21の動詞をキーワードに、デカルトの思想を「生き方」の指南として解説するという著者のアイデアは面白い。各章の記述には、著者の研鑽の成果がギッシリ詰まっている。
 哲学が役に立つのは、人が生きていく一々の場面で、学んだ哲学を応用するときにである。応用には方法が必要だ。そして方法を身につけるためには「精神の習慣(ハビトゥス)」を獲得することが重要だ。ハビトゥスとは「生き方」であり、新しいハビトゥスを獲得することによって、人は生まれ変わることもできる。段階を踏み、正しい判断を下すハビトゥスを身に付けることで「後悔のない充実した人生が送れるようになる」と著者は説く。卓見ではあるが、言うは易く行うは難し。
 なお、著者の津崎良典さんは希哲会のみなさんの先輩です。



ISBN: 9784003280218
書名: ジャンプ
著者: ナディン・ゴーディマ
出版社: 岩波書店
本体価格: 900円

(4)『ジャンプ』 ナディン・ゴーディマ 著
      
 1991年ノーベル文学賞受賞作家である南アフリカの作家、ナディン・ゴーディマの短篇集。12篇の珠玉の短編小説が収められている。悪名高い人種隔離政策、アパルトヘイトが廃止されるに至る頃、弾圧との闘いに身を投じる者にも身を守るために革命から距離を置く者にも、日々の暮らしはそれぞれに喜怒哀楽の情を帯び、また一日と過ぎていく。が、ある日突然、ふとした出来事が表面上は平穏だった日常を切り裂く。植民地主義の根の深さ、にもかかわらず愛し合う人々、裏切り・・・著者の描く日常の世界は、南アフリカから遠く離れた日本の私たちにとっては非日常の世界である。
 最近、アメリカの黒人差別問題を扱った映画(『私はあなたのにグロではない』)を観た。歴史への「無知」がすでに人種差別に加担している、差別は支配する側のシステムに安住する者の罪を告発するというメッセージが胸に突き刺さる。遠い世界の日常を自分にとっては非日常だと割り切って済ます態度が、今現にあるポストコロニアリズムの課題と向き合うことを妨げてはいないか。



ISBN: 9784000291378
書名: 「東アジアに哲学はない」のか
著者: 朝倉友海
出版社: 岩波書店
本体価格: 2,100円

(5)『「東アジアに哲学はない」のか』 朝倉友海 著 

 古代ギリシャ哲学と中世キリスト教神学との対決による哲学の「創設」と「再開」としての近代哲学だけが「哲学」であり、それが西欧においてしかなされなかったとすれば、ヘーゲルからデリダまでが言う、いわゆる「東洋哲学」とは「東洋人の一般の宗教的な考え方や世界観のこと」であって「哲学」ではない、あるいは「東アジアに哲学はない」ということにもなろう。だが、西田幾多郎はヘーゲルからスピノザ、デカルトまで遡り、西欧とは異なる伝統の下で新たな形而上学の「創設」を試み、京都学派において、それは「発展」あるいは「転回」する。また、熊十力(ゆう・じゅうりき)が創始した新儒家においては、牟宗三(ぼう・そうさん)が儒学の「再開」を試み、「道徳的形上学」を構築するのである。
 著者が嘆くように、「東アジア独特のある不幸、両学派[京都学派と新儒家]がそれぞれまったく没交渉のままに置かれてきたという悲しい現実」(本書、はじめに)を目の当たりにするとき、アジア地域で哲学研究交流のネットワーキングを進めることが、グローバル化する哲学界の喫緊の課題であることに気づく。
 最近読んだ哲学史関係の本で最も興奮をそそった1冊。



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▼ 2018年7月の担当教員 ▼
望月 太郎先生


望月 太郎(もちづき たろう)先生プロフィール

1962年生まれ。大阪大学大学院文学研究科哲学講座現代思想文化学専門分野 教授、大阪大学ASEANセンター(バンコクオフィス)前センター長、チュラロンコン大学(タイ、バンコク)客員教授。
最近、日本-ASEANグローバル哲学研究交流ラボラトリーを設置した。
大阪大学生活協同組合 TEL:06-6841-3326(代)